生まれた街!というのは特別感が有るが、生まれた場所というのもまた・・・
ただ、自分は生まれた街も育った街も全く変わっていない。
生まれも育ちも~~なんて書くと、あのシリーズが思い浮かぶけど仕方が無い
自分は生まれも育ちも鈴鹿です。
広い市とはいえ、理由有って少しのお引越しは経験したものの
生まれてから市すら出ていないのが現実。
小学校・中学校は当然ながら地元、高校も地元、大学も地元、就職も地元!
全てが半径数km程度の円の中に入ってしまうほど(笑)。
通学・通勤に時間をかけた経験が無いんだよねぇ~
何なら徒歩での通学だった小学生時代が一番、時間はかかっていたかも
そんな中、自分の生まれた場所(産婦人科)が無くなると聞いて行ってみた。
行ってみた。というほどの距離でも無いんだけど、ふと何かを感じて。
こちらの医院は自分が子供の頃から・・・いや、それこそ胎児として母の中にいる頃から、ずっとずっとお世話になっていた診療所。
小児科や内科・外科もしているため、幼少期にはずっとお世話になった。
この診療所は先生の自宅とつながっていて、深夜でも非常の呼び出し
インターホンを押すと、自宅側のベルが鳴り響き(かなり大きい音)
深夜にも関わらず先生が出て「どうされました?」と、
優しく診察をしてくれていた。
ここ数年、もう開業はしていないのは知っていたけれど
(そりゃ当然、先生もかなりの高齢でしょうからねぇ・・・)
建物自体が無くなるとなれば、何だか強く感じるものが有る。
写真で言うと奥(?)の外壁を残し、瓦礫となった建物。少し見に行くだけ...のつもりが、しばらく立ち止まってしまった。
生まれた頃のお話は、母からよく聞いていて
赤ん坊の自分を見せに、長女が長男を連れて歩いて来ていたらしい。
ここでは書けないような恥ずかしい話もある・・・
(秘密日記的なものが有れば、こっそり書いていたかもしれません)
※誰も気づかないでしょうから、白文字で書いてみた
新生児の自分があまりにも寝てたので、母の元に看護婦さんが
「あの子まだ寝てるよ?。普通は赤ちゃんって数時間おきに目覚めるもの。
気持ち良く寝てるの、起こすのもかわいそうだし、どうしましょう?」
と聞きに来てたとか・・(恥)更に恥ずかしいエピソードはさすがに書かない
2F部分が、入院施設かぁ、もちろん自分には記憶は無いけど
あそこにいたんだなぁ~なんて思って、ついつい直視してしまう。
本当に少しだけのつもりだったのに・・・寂しさが溢れる~。
通学(下校)で通る中学生に、怪しく見られてたかもしれない(^^;
先生は元気にしてるんだろうか?跡地は何になるんだろう?
完全になくなる前に、もう一度くらい来てみようかなぁ~・・・。
感慨深いものがあります。
返信削除いつまでもある…と思ってたのに。
ショックですよね~。
生まれた場所、幼少期にとてもお世話になった場所です。
削除瓦礫になってしまった建物を見て、寂しくなりました。
生まれ故郷にずっと住んでいるなんて、羨ましいです。私は下関で生まれましたが、先祖から住んでいたのではなく、親戚もおらず、今は友人が住んでる地、という旅先の土地と同じです。母方の菩提寺は浅草ですが、こちらも親戚がいるでなし、「故郷」と言える場所がありません。
返信削除大人になっても幼馴染みと付き合える生活に秘かに憧れています。
夫は地元ですが、元々子供が少ない地域で、ほぼ近所に幼馴染は居ないようです。年と共にノスタルジックになってます。
生まれ故郷・・・とはいえ、もともと友人の少ない自分。
削除マダムMさんが憧れるような環境は、自分には無いですけどねぇ(笑)。むしろ都会へ離れていく友人に凄いなぁ~と感じます。
ただ、少しづつ変化していく街を、ひしひしと感じる事は出来てます。そして今回、生まれた医院の解体。瓦礫になった建物を見て寂しさが、止まりませんでした。
おはようございます。
返信削除そうでしたか…寂しくなりますね。
私が産まれた病院は高崎でまだ活躍しています。
でも行ったことなくて。
高崎で生まれ育ち、都内の学校へ通い、奇跡的に入社した会社の高崎支店に配属になり、結婚して都内暮らしからの埼玉移住。
よくよく考えたら埼玉で過ごしている時間が人生で一番長くなりました。ただ埼玉県民の特徴「郷土愛がない!」
故郷へ帰るとウキウキします。
人間産まれた時に最初に吸い込み空気は死ぬまで肺から出ない。だから故郷へと思うのよと、そんな話を聞きましたが、あながち嘘ではない気がします。
瓦礫になった生まれた医院を見て、思わず立ちつくしました。
削除生まれた場所、記憶に無くてもとても感じるものが有ります。
何かの機会にでも、まるこさんも是非、高崎市の病院
見に行ってみて下さい~。